はじめまして、きらく治療院代表のいわはらです。
小さい頃から野球に明け暮れ、大好きだった野球。レギュラーとしてプレーしたのはほんのわずか、ほとんど補欠でした(笑)。
そんな野球で右肩を壊したのが20歳の時でした。その頃はまだ野球投球障害について世の中が追いついてきてなかったので、MRIなど無く検査といえばレントゲンだけでした。整形外科の先生も休むしかない…しかし休むだけでは治らないんですね。治らないから、数件の病院めぐりをすることになるんですね。
この肩が治らないことがきっかけで色々と本を読んだり、病院や接骨院に通いました。
一旦は大学を卒業して、3年ほど現場監督として建設会社に勤めましたが、野球投球障害のことが諦めきれず、退社(脱サラですね)してマッサージ・はり・きゅうの専門学校に入学しました。
「この世界から野球肩をなくす!」なんて意気込んで鍼灸の専門学校の扉を叩きました。
その頃から、慣れない座学で腰痛になり(このときは右のお尻に違和感が約2年間続きました)これも運命なのかと思い腰痛の勉強にしばしハマる。
平行し、野球肩に関する本はたくさん読みました、ついでに投球フォーム連続写真、投球動作に関する本などなど。これが今思うと姿勢やカラダの使い方などの勉強になっていたのだと思います。
専門学校時代は早退が1回だけで精勤賞をいただきました。
今も昔も元気が取り柄だと自覚しております。
鍼灸学校時代3年間みっちりと、午前中は学校にて解剖学や生理学などの基礎医学や鍼灸マッサージの実技。午後は整形外科でリハビリ助手、接骨院では院内での施術や訪問マッサージをしていました。
こんなに勉強したのは高校受験以来でした。特に解剖学は大好きでした。人間のカラダって面白いって感じたのはこの頃ですね。
学校を卒業後は横浜二俣川にある松原治療室(松原次良先生)に3年半お世話になり、そこではカラダとココロのバランスの大切さを学びました。
「人間対人間」、「治療には哲学が必要」だ!なんて思ったのもこの頃でした。
その時期と平行して治療室が休みの日には練馬の弘明堂(坂井秀雄先生)にて鍼灸と指圧の修行をさせていただきました。ここの先生は鍼灸界のシーラカンスのような感じでした。
最初の1年間は怒られてばかりで、途中で何度も辞めようと思いましたが「守・破・離」はここで実感させられました。「させられました」ではなく、「しました」(笑)。
マッサージ・はり・きゅうの専門学校を自信を持って卒業したはずでしたが、松原治療室、弘明堂でその自信が跡形もなく崩されました。
今では、そのことが良かったと思います。勉強が足りない、知識が足りない、経験が足りない、ないないづくしとはまさにこのこと。
だから本を読みました、経験を積みました、講習会に参加しました。
このお二人の先生があるからこそ、今の自分があると感謝しています。学校を卒業したままだったら、今頃大変なことになっていたかもしれません。気づかせていただいた先生方には感謝しております。そして、今までの経験を踏まえ、自信と恐れを持ちつつ、2005年10月地元相模原にて開業することができました。
開業し、いろいろな経験をさせていただき10年ほどが経ちました。開業当初に比べ少しですが自信もつき現在に至ります。
数年前からジョギングを始め、仕事帰りにリュックを背負って帰宅することもあります(約15キロ)。フルマラソン参加5回(自己ベスト2時間59分52秒)、ハーフマラソン参加8回、その他トレイルランニング、駅伝など1年に3~5レースに参加するようになりました。
野球やジョギングを通じて身体の使い方、どの部分がどうなるとこうなるのか?など、使う道具やタイミングいろいろとスポーツを通じて経験したことを交えて施術や治療に活かしております。
まだまだ経験も知識もこれから積み、成長していき、皆さまの症状改善へ向けて努力していきたいと思います。よろしくお願いいたします。
長いプロフィールに付き合っていただきありがとうございました。